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マジ吉TUBEブログ

工場で働く既婚子持ちです❗️日々感じことを発信していきます♪ のんびりしてってくださいね〜

NHK「日本一長く服役した男」ってどんな事件おこしたの?


どうもー、マジ吉です!


21日の午後5時過ぎ、
なんとなくテレビをつけていると流れていたのが
NHK放送の



「日本一長く服役した男」



というドキュメンタリー番組。



この番組、
少ししか見ないつもりが思わず見入ってしまい、
結局最後まで見てしまいました。


"日本一長く服役した"ということは、
当然、内容は受刑者もの。


つまり、
過去に"ある事件"を起こし無期懲役の判決を受けます。


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そこから実に61年の歳月をえて2019年に仮出所しました!
この数字が"日本一長く服役した"ということなんですね。



そこで、


・どんな事件を起こしたのか?
・なぜ61年経って出所なのか?
・その後どう暮らしてるのか?


などを紹介していきたいと思います。




ただ、最初に見た感想を言ってしまうと、、、




罪を償うってなんなんだろう?



という疑問が浮かびました…




どうしてそんな感想を抱いたのか?
少しばかりの時間お付き合いくださいませ。

・どんな事件で服役したの?


番組では、
元受刑者のことを"Aさん"と表記していたのでこの記事でも
Aさんで紹介していきます。


まずAさんの生い立ちを説明すると、、


少年時代に戦争孤児となり、施設を転々として
1957年の21歳のときに、
お金欲しさに4歳の子をつれた親子に襲いかかる。

その子の目の前で母親を殺害し、
強盗殺人の罪で無期懲役が下され服役。


となっております。

人を殺めることはそもそも悪いことですが
子供の前で親を殺めるなんて、絶対にあってはならないことですね。



・なぜ61年も服役していたのか?


昔だと無期懲役なら20年はまず服役して、
模範囚ならば仮出所申請が可能で、
認可されれば外に出れるはずなんです。



Aさんは真面目に作業していたので、
仮出所申請が通るだろうと思われていたんです。


ところが、
"見請人がいない"ということで許可がおりなかったのです。


つまり、いくら模範囚でも待ってくれる人がいないと
外に出れないということですね。


そこから5回ほど申請したのですが、
全て許可が下りませんでした。


当時、一緒に服役していた人の話を聞くと、
申請が何度もおりなくなったときに模範囚のAさんが
人が変わったようになったそうです。



・ご飯や味噌汁を、箸を使わずに素手で食べ始める。
・80キロはあった身体が骨と皮のように痩せ細った。
・面接官に対して高圧的な態度を取った。

いくら申請しても外に出れないストレスが、
彼をそうさせたのかもしれません。


・出所後はどうやって過ごしたのか?


61年服役していたAさんですが、
突如2019年、仮出所が認められます!




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理由はよく分かりませんが、
高齢というのも理由に入るのかもしれません。


21歳のときに刑務所に入って、
出所したときは83歳❗️❗️

もはや、浦島太郎ですね。


身寄りがないAさんは、
民間の老人介護施設に入所します。


最初は真面目に施設の規則も守り、
少しずつ現在の環境に慣れようと必死でした。


ところが半年も経つと、
次第にワガママになっていき


・服を着替えない
・ごはんも食べたくない
・シャワーも浴びたくない


と規則も破っていきます。


職員の人が諭そうとすると、
「刑務所に連れ戻してくれよ」
と突っぱねます。


本性なのか、
高齢のための認知症のはじまりだからか分かりませんが
NHKスタッフが
「事件のことをどう思っていますか?」
と聞くと



「良いことなのか、悪いことなのかわからない」




と答えます。



罪の意識が無いのか、
61年も罪と向かい合いすぎてよく分からなくなったのかはわかりません。
ただ、これでは被害者の人が浮かばれないなと思いました。


遺族の人はどう思ってる?

番組スタッフが、
事件の遺族の人にアポを取り連絡したら
一通の手紙が届いたそうです。

手紙の送り主は、
母親を殺された4歳の子のお姉さんでした。

そこには、


「母がいなくなってしまって辛い。 人生で辛いときに母がいてくれたらと思うことがあった。」


と書いてありました。
小さいときの母親の存在ってすごく大きいですよね。
母親を失った喪失感を埋めてくれる存在なんて、
この世にないでしょうね。


そして、手紙にはAさんのことをどう思うかについても書いてあります。


「加害者の人が憎いというよりは、母がいないというのが悲しいです。
強い人なら許せるのでしょうが、
私には無理ですね。」


と書いてありました。


許すということは正しさなのかもしれません。
ですが、
大切な人を奪われた事実をずっと許せない!
という感情も正しいと思いました。


・Aさんのその後はどうなった?

施設で、
刑務所とは違う慣れない環境で暮らしていたAさんですが、
1年後に体調を崩してしまいその後亡くなってしまいます。



出所からわずか1年余り…



あまりの急展開に言葉を失ってしまいます。


その後、Aさんは火葬されますが、
施設の代表の人へのインタビューが印象的でした。


スタッフの人が、

「(あまりにも早く亡くなったため)Aさんが生きる意味ってなんだったと思いますか?」

という質問に、


「人を殺しておいて、自分だけのうのうと生きることは許されないってことだと思います。」

と答えていました。


確かに人の命を奪った人が、
幸せにのほほんと生きてたら許せない気持ちにもなりますよね。



ただ、殺人者だから死んでもいいってことにはならないと思うんです。



同じ人間で命は平等だから。


Aさんにも生きる権利はあるし、
償いの方法だってもっとあったのかもしれませんしね。


でも、人を殺めて罪を償うために61年も服役したのに
本人にはイマイチ罪の意識が薄そうだったのが
残念でしたね。


Aさんが自分の罪を心から反省しきれてなかったとしたら、


61年ってなんの意味があったんだろう?


という思いに駆られてしまいました。


長く服役しても、
本人が悔いて反省しなければ時間なんて意味がないと思います。


そして、
やっと出所したのに1年で亡くなったAさん。


これは無理もないのかもしれません。


60年近く染み付いた刑務所生活から一変して、
83歳でいきなり新たな環境に慣れるというのは
大変なストレスだと思います。


もし、ずっと刑務所生活だったらAさんは死ななかったかもしれません。


Aさんにとっては刑務所こそが、
自分の居場所だったのだろうと思います。


 
いかがでしたでしょうか?
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