T4作戦とは?ナチスが命じた障がい者の大量安楽死
こんにちは!マジ吉です。
このブログにお越し頂きありがとうございます♪
4月1日にNHK BSプレミアムの
「ダークサイドミステリー」が放送
されていました。
その日の内容は
「なぜ人々はヒトラーに従ったのか?」
という内容で、
紹介していました。
しかし、番組で僕が興味をひかれたのは
"T4作戦"
恐ろしい作戦が実際に行われていたのです…
・なぜT4作戦は行われたのか?
といった疑問をこれから紹介しきます!
少しばかりお付き合いください♪
目次
T4作戦はなぜ行われた?
ときは第二次世界大戦!
ヒトラーを総統として迎え
連合国軍との戦争のさなかでした。
戦争には莫大な費用がかかります。
資金に乏しいナチスが目をつけたのは
年間50億円かかる障がい者の介護費でした。
"この金額を軽減できれば戦争費用の足しになる"
とナチスは考えました。
当時のナチスの考えは、、、
・労働者として使えない
↓
・生きるに値しない命
"戦争で役に立たない障がい者は
安楽死で処分してしまおう。"
という方向に進んで行きました。
なんとも身勝手な考えですね…
ちなみに作戦名の"T4"とは、
作戦を発令した司令部があった場所、
「ティアガルテン通り 4番地」
という通りから名付けられたようですよ。
T4作戦決行
1939年10月
ついにT4作戦が決行されました!
次々とバスに乗せられる障がい者の人たち。
ナチスは親に「特別な治療」と嘘をついて
安楽死施設に連れていきます。
ちなみにここでの"障がい者"とは
身体的というよりは知的の障がい者の
人たちのほうが多かったようです。
山奥の施設に着いたら
「シャワーを浴びなさい」
と、ある部屋にぎゅうぎゅうに入れられます。
その部屋に入ったら最後、
生きては出られません…
なぜならその部屋は
"ガス室"だからです。
親の一部は安楽死を歓迎していました。
当時のドイツでは、
「障がい者が身内にいることは恥」
と、いう風潮があったからです。
今では考えられない世界ですね…
ヒトラーの誤算
次々と死体の山を築く安楽死施設。
犠牲になった障がい者の数は
5000人にものぼるようです。
そんなT4作戦を強く非難する者達が
現れました。
「ドイツカトリック教会」です。⛪️
フォン・ガーレン司教が発信した、
国民の心に響いた言葉がこちらです。
「私たちは 他者から 生産的であると
認められたときだけ生きる権利があるというのでしょうか?
もし非生産的な市民を
殺してよいとするならば
病人、傷病兵、仕事でけがをした人
老いて弱ったときの私たち全てを
殺すことが許されるのです。」
最もな言葉ですね…
1941年8月
司教の発言をさかいに、
国民の反発を恐れたヒトラーは
T4作戦を中止しました。
止まらない安楽死
T4作戦は中止になったはずなのに、
安楽死は止まりませんでした。
安楽死にたずさわった医師や看護師が
自発的に続行していたのです!
彼らは自分たちが正しいことを
していると思い込んでいました。
そして、
この暴走をナチスが止めることは
ありませんでした…
事態はさらに悪化。
安楽死の対象は拡大していき
・高齢の病人
・空襲で重症を負った市民
・負傷した退役軍人
などがガス室送りになりました。
また、
このときT4作戦の中心になっていた
医師や看護師、そして
培われたガス室での技術が
の担い手になっていくのです。
歴史がつながりましたね。
安楽死を止めない心理
1945年4月30日
ヒトラーが自殺。
ドイツは降伏し戦争は終わりました。
T4作戦での犠牲者の数は
20万人
にのぼるようです。
なぜ、医師や看護師は中止になったはずの
安楽死を自分たちで続けたのでしょう?
彼らの心理に迫ります。
彼らからすれば、国から命じられたことを
遂行してきただけです。
ところが
それが悪いことだと発覚してしまったので
「今さら自分たちがやってきたことを
否定するわけにはいかない。」
という、心理がはたらき
自分たちの正当性を主張するために
止められなかったのではないでしょうか?
ここで止めてしまうと、
ただ"自分たちが犯罪をやっていた"という
事実だけが残ってしまう。
そんな風に感じました…
今から約80年前にこんな恐ろしいことが
行われていたなんて信じられないですよね。
その人の生死を、
他人がどうこうしようということほど
むごくて身勝手なことはないです。
これからの時代、
もっともっと障がいに理解のある社会に
なっていくことを望みます。
最後まで読んで頂きありがとうございました♪
それでは、またお会いしましょう〜
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