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マジ吉TUBEブログ

工場で働く既婚子持ちです❗️日々感じことを発信していきます♪ のんびりしてってくださいね〜

ウサギ島が過去に毒ガス島だった理由

こんにちは、マジ吉です。



皆さん、「ウサギ島」って聞いたことありますか?


ウサギ好きなら知ってるかもしれませんが、
僕含め、動物好きじゃない人にはイマイチな知名度かと思います。


その島は瀬戸内海に浮かんでおり、
正式な名前は大久野島広島県にあります。



なんでも、
野生のウサギが約700羽生息しており、




"ウサギの楽園"



と呼ばれております。
ウサギ好きにはたまらないスポットですね〜♪



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そんな可愛いイメージの「ウサギ島」。
実はもう一つの名前があるんです…




それは、、、、






"毒ガス島"




びっくりしますよね?
可愛いウサギのイメージと真逆!
よりによって毒ガスとは…



僕がこれを知ったのは、
2月22日放送のドキュメンタリー番組、
「N N Nドキュメント」の放送です。



ショッキングな内容でした。



そこには歴史の闇に隠された、
沢山の人の叫びがありました。



なぜウサギ島が毒ガス島なのか?
これから紹介してきますので少しばかりの時間お付き合いくださいね。



目次

図から消された島


大久野島は、
1931年時の資料だと当時の地図に記載されています。


ところが、
1938年の地図からは消されています。



それには"日中戦争"が関係しています。



日中戦争とは、1937年〜1945年の間に行われた
日本と中国の戦争です。



その戦争で"毒ガス"を使用するために製造拠点である大久野島日本軍が地図から消したのです。



なぜ消されたのか?


それは、
毒ガスを兵器として使用することが禁止されていたからです。



ぜ毒ガスを製造したのか?


毒ガスを使用すれば戦局を有利に進めることができます。
第一次世界大戦で使用された際に、
驚異的な殺傷能力があったので日本軍も目をつけたのでしょう。

しかし、
1925年にジュネーブ議定書によって
「戦争での毒ガスの使用を禁止する」と決まりました。


日本軍は秘密裏に毒ガスの製造を開始しました。



番組のインタビューに応じてくれた、
元工員の藤本さん(94才)が当時の様子を語っていました。


それは今から80年前にさかのぼります。


当時、学生だった藤本さんは教師に
「お金を貰いながら勉強ができる。」
と言われ、
大久野島に召集されました。


しかし、そこで待っていたのは勉強ではなく


"毒ガスの製造"でした…



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島におりた瞬間、強烈な刺激臭を感じたそうです。


軍からは、
「島で毒ガスを製造していることは、家族にも誰にも決して口外してはならない!」
誓約書を書かされたそうです。


当時の日本軍の闇を感じますね…



ガス島がなぜウサギ島になったのか?

毒ガスの製造の日々がはじまった、
たくさんの学生たち。


島では"6600トン"の毒ガスが製造されたようです。


毒ガスを造っているので、
空気中にもガスが舞っているわけです。


誤って、吸ったり触れたりして沢山の人が
"失明"や"皮膚のただれ"を負ったそうです。


そして、人間にどれだけの被害を与えられるのかの
動物実験が行われました。


そこで使用されたのが、、、



ウサギ。



その名残りで大久野島には、
たくさんの野生のウサギがいるのでしょう。


悲しい話ですね…


島で毒ガスを製造していた人たちは、
後に気管支や皮膚に疾患が認められて現在、
1145人の毒ガス障害者が確認されているそうです。


多くの人が肺がんを発症しました。


表面上の戦争が終わっても、
彼らの戦争はまだ身体に残っているのです。


ガスの種類


実際に戦争で多く使われた毒ガスは二種類。


1つは、
"あか"の名称で「くしゃみ剤」と説明されていました。
吸うと目、鼻、喉に刺激を起こし、
咳や頭痛、嘔吐を引き起こします。



2つ目は、
"きい"の名称で「びらん剤」と説明されていました。

皮膚に強いただれを起こし、
吸うと死に至るそうです。


毒ガスは、
発煙筒や砲弾などに詰められていました。


際の被害


製造された毒ガスは、
日中戦争で実際に使用されました。



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当時の中国には戦争時、
敵に攻めこまれたとき隠れられるよう"地下道"が町にいくつも張り巡らせてありました。



イメージとしては日本の防空壕の広いバージョンですかね。



そこには兵隊だけでなく、民間人も隠れていました。



日本軍は地下道に発煙筒を投げ入れます。
その発煙筒には"あか"が詰め込まれていました。



地下道の入り口を布団で押さえると、
中は毒ガスが充満し地獄絵図になりました。


あまりの息苦しさに、這い出ようとするも、
そのまま口から泡を吹いて死んだ人がたくさんいたようです…


しばらくして中を見ると、
大量の死体があったそうな。


死体をよく見ると、
兵隊よりも老人、子供、女性の死体の数のほうが多かったようです。



戦争が起こると真っ先に犠牲になるのは、
いつも罪のない弱き人達ですね…



後に

大久野島で、
毒ガスが製造されていのが判明したのは太平洋戦争の終戦後のようです。



元工員の藤本さんは何年か前に、
"慰霊の旅"として中国に向かいました。


当時、
毒ガスが使用された戦地を訪れ生存している被害者の方に謝罪しました。


そのとき、被害者の方が藤本さんにある言葉をかけました。



「あなたも毒ガスを作らされた被害者ですよ。」



とても印象的なシーンでした。


藤本さんを責めるわけでもなく戦争が悪いのだと。


罪を憎んで人を憎まず。


藤本さんも救われたと思います。


毒ガスの製造のために、
実験台にされたウサギたちが終戦後、
たくさん繁栄して平和に暮らしているのがせめてもの救いですね!


大久野島に行かれた際には、
たくさんのウサギを可愛いがった後、
犠牲になったウサギや人達に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

供養になると思います…



いかがでしたでしょうか?
コメント、意見、感想ありましたらよろしくお願いしま〜す。


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